最近SNSで、
「バスターソードはクラウドの象徴ではない」
「むしろザックスの象徴では?」
という話を見かけることがある。
理由は何となくわかる。
『クライシス コア FF7』では、バスターソードはザックスが使っていた剣として描かれ、
『アドベントチルドレン』でも、クラウドがバスターソードを通してザックスを想起するような演出がある。
だから、
「バスターソードを見るとザックスを思い出す」
という感覚自体は自然だと思う。
ただ、それと
「バスターソードはクラウドの象徴ではない」
は、やはり別の話ではないだろうか。
バスターソードを見て、まず誰を思い浮かべるか
FF7をあまり知らない人でも、
大きな剣を背負った金髪の青年を見れば、多くはクラウドを思い浮かべる。
バスターソードは長年、
- ロゴ
- ビジュアル
- フィギュア
- コラボ
- ゲーム外出演
などを通して、
「FF7の顔」としてクラウドと結びついてきた。
もちろん物語の中では、
この剣にはザックスとの継承や記憶も刻まれている。
でもそれは、
「物語上の意味」
であって、
「作品全体のアイコンとして誰と結びついているか」
とは少し違う。
ACでザックスっぽく見えるのはなぜか
『アドベントチルドレン』では、
クラウドがバスターソードにザックスの記憶を重ねる演出がある。
だから、
「この剣にはザックスの存在を感じる」
という読み方は成立する。
ただ、それは
「クラウドの象徴ではなくなる」
という意味ではない。
むしろFF7は、
一つの象徴に複数の感情や記憶が重なっている作品だと思う。
バスターソードは、
- クラウドの象徴であり
- ザックスとの継承の証でもある
その両方が同時に存在している。
なぜ議論がややこしくなるのか
個人的に気になるのは、
「ザックスを感じる」
から一気に、
「だからクラウドの象徴ではない」
へ飛躍してしまうケースである。
特に、
バスターソード単体ならクラウドの象徴として扱うのに、
そこへ、黄色い再会の花が添えられた瞬間だけ「ザックスの象徴」と読み替えられる場面を見ると、やはり違和感は残る。
ザックスやエアリスに思い入れがある人が、
そう解釈すること自体を否定したいわけではない。
ただ、
特定のカップリング解釈のために、
FF7全体で積み上げられてきた象徴性まで
書き換えようとする流れには、
少し窮屈さを感じる。
結論:バスターソードはクラウドの象徴であり、ザックスの意味も背負っている

バスターソードは、
物語の中ではザックスからクラウドへ継承された剣であり、
そこにザックスの記憶や感情を重ねる読み方も自然だと思う。
ただ、それでもなお、
「FF7という作品を代表する象徴」
として見た時、
やはり多くの人が思い浮かべるのはクラウドではないだろうか。
だからこそ、
バスターソードは
- クラウドの象徴であり
- 同時にザックスの意味も背負っている
――その“両方”として見るのが、
一番FF7らしい気がしている。
※この件をもう少し深堀した記事
▶FF7 バスターソードはクラウド?ザックス?違いを解説

