「エアリスのテーマ」は恋の曲なの?

作品考察

― 『ファイナルファンタジーVII』と90年代スクウェアの制作文化から考える

最近、この曲について

  • 「ザックスを想って作られた恋の曲」
  • 「植松伸夫がそう言っている」

といった話を見かけることがあります。

でも、当時のゲーム制作の“空気”を知ると、 この曲の立ち位置は少し違って見えてきます。

この記事は、作品をもっと深く楽しむための“制作文化の話” です。

1. 2015年の植松伸夫インタビューは“記憶ベースの回想”

2015年に開催された Game Symphony Japan のパンフレットで、 植松伸夫氏は「エアリスのテーマ」についてこう語っています。

引用

「エアリスは待った。毎日毎日、いつまでも待った」 「そのシーンに合わせて作った」

(Game Symphony Japan パンフレット/2015)

この部分だけ読むと、 「ザックスを待つエアリスの曲?」と思うかもしれません。でも、このインタビューは FF7発売から18年後 のもの。 植松氏自身も

引用

「初めて話したかも(笑)」

と語っており、 これは“当時の資料を確認した証言”ではなく、 記憶ベースの回想 なんですね。

2. ゲーム本編で“毎日待っていた”のはエアリスではなくエルミナ

『ファイナルファンタジーVII』本編で 「エアリスのテーマ」が最初に流れるのは、 エアリスの義母・エルミナの回想シーンです。

  • エルミナは戦地に赴いた夫を毎日駅で待ち続ける
  • 返事は来ない
  • そこで衰弱したイファルナが幼いエアリスを託す
  • この一連のシーンで「エアリスのテーマ」が流れる

つまり、ゲーム本編において “毎日待っていた少女”はエアリス本人ではありません。

植松氏の「待つ少女」という記憶は、 このエルミナのシーンと重なっていると考えるのが自然です。

3. 90年代スクウェアの音楽制作は“恋愛曲”を前提にしていなかった

ここが一番大事なポイントです。

90年代のスクウェアでは、 作曲家に渡される情報はとてもシンプルでした。

  • 「悲しい曲を1つ」
  • 「不安な曲を1つ」
  • 「バトル曲を3つ」

こんな感じです。

例えるなら、 「スープを作ってください。味はお任せで」 と言われるようなもの。

つまり、 特定キャラの恋愛感情に合わせて曲を作る文化ではなかったんです。

シナリオも断片的に渡されることが多く、 作曲家は“抽象的なイメージ”で曲を作り、 ディレクターが後から配置する方式でした。

こうした“抽象発注”が当たり前だった時代に、
例外的に“映像に合わせて作られた曲”が存在します。

4. 『ファイナルファンタジーV』のオープニングに見られる“映画的演出”の萌芽

そんな中で、『ファイナルファンタジーV』(1992)のオープニングは 少し特別でした。

  • 澄んだ夜明けの空
  • 静かな朝の音楽
  • タイクーン王が飛竜で飛び立ち、レナが見送る
  • シーンが変わり、重い鐘の音とファリスの船
  • クリスタルの祭壇で音楽が弾け、クリスタルが砕ける
  • そして穏やかな森でバッツとチョコボが焚火

この流れは、 ループ曲ではなく、映像に合わせて曲のパートが切り替わる“組曲的構成” になっています。

当時としてはとても映画的で、 シリーズの中でも新しい挑戦でした

そしてこの“映画的な構成”は、作曲者本人の意識変化とも一致しています。

引用

「FF1 かFF4あたりはゲーム音楽的な、短い音楽をくり返すような作りかたをしていたんですけど、FF5あたりからいくぶん映画音楽寄りの作りを意識しはじめたんです。」

出典:植松伸夫インタビュー(Vジャンプ特別増刊FF7、1997年)

さらに植松氏は、当時の心境をこう語っています。

引用

「FF5、FF6のあたりから、これはもちろんゲームなんだけど、終着点がもうひとつ別のところにあるような、そんなモノ作りが待っているんじゃないかと思いはじめたんですよね。」

つまり、 抽象発注が当たり前だった90年代スクウェアの中で、FFVのオープニングだけは“映画的な表現”へ踏み出した最初の芽だった ということです。

植松氏自身も、この挑戦を“過渡期”と振り返っています。

引用

「現状では正直言って音楽的にも視覚的にも、映画をめざす段階、過渡期なのかもしれない。そういう思いもあって、今回、音楽のつけかたには悩んで、もがきました(笑)」

出典:植松伸夫インタビュー(Vジャンプ特別増刊FF7、1997年)

ただし、この方式が シリーズ全体に広く浸透していたわけではありません。 映画的演出の“最初の芽” といった位置づけです。

そして、この“映画的”はあくまで映像演出の話であり、キャラクターの恋愛感情に合わせて曲を書く文化が生まれたわけではありません。

5. 伊藤賢治 × サガシリーズの「世界一カッコいい下水道」事件

この時代の空気を象徴するエピソードがあります。

  • ”イトケン”こと伊藤賢治氏は『ロマサガ』のある楽曲を別の場面を想定して作曲
  • プロデューサーの河津秋敏氏が下水道に配置
  • だからイトケンは曲名を「下水道」にしたが、「安直だ!」と怒られてしまった
  • 後に、イトケンは「すまなかったな、とこの曲に対して思う」とコメント
  • しかしファンからは“世界一カッコいい下水道”と親しまれている

この話が示すのは、

当時は“作曲家の意図”と“実際の配置”が一致しないのが普通だった。

だから、

「エアリスのテーマ=ザックスへの恋の曲」 という読み方は、当時の文化と合わない。

6. エアリスはザックスを想っていた。でもそれは別問題

ここは誠実に整理したいところです。

  • エアリスはザックスを5年間待っていた
  • これは物語上の事実
  • でも「エアリスのテーマ」はその恋愛を描いた曲ではない
  • ゲーム本編の使われ方は“喪失と出会い”のシーン

つまり、

エアリスの恋愛感情と、エアリスのテーマの意味は別問題。

■ 結論:

「エアリスのテーマ」は恋愛に限定されない普遍的な曲

「エアリスのテーマ」は、

  • 喪失
  • 出会い
  • 優しさ
  • 孤独
  • 運命
  • 希望

こうした 普遍的な感情 を描いた曲です。

だからこそ、 世界中で愛され続けている。

この曲を“恋の曲” “エアリスがザックスを想う曲”に限定してしまうのは、 作品の文脈・制作文化・ゲーム本編の描写のいずれとも一致しません。

作品の深みを知るための一つの視点 として、 90年代の制作文化を踏まえてこの曲を味わってみてほしいです。





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