『ゴジラ-1.0』の続編映画『ゴジラ-0.0』ファーストティザー映像が公開され、再び山崎貴監督の名前に注目が集まっている。続編の『ゴジラ-1.0』から2年後の世界を描くようだ。
公開日は:11月3日(火・祝)、ゴジラの日
山崎貴はなぜ“体験させる映画”を作れるのか
前作『ゴジラ-1.0』はVFXの完成度やストーリーの評価も高かったが、それ以上に印象的だったのは「ゴジラがそこにいる」と感じさせる圧倒的な体験感だった。
ではなぜ、山崎貴の作品は“観る映画”ではなく“体験する映画”になるのか。
山崎貴の強みは「スケールを体験に変えること」
山崎作品の特徴を一言で言うなら、
「実物ではないものを、実物のように体験させる力」にある。
- ゼロ戦
- 戦艦
- 失われた時代の風景
これらは本来、今の私たちが直接体験できるものではない。
それを映画の中で“現実の延長”として感じさせる。
これは単なるVFXの上手さとは少し違う。
重要なのは、観客が“安全な場所から見ている感覚”を消すことだ。
西武園のゴジラ・ザ・ライドで感じた「巻き込まれる体験」
この感覚は、映画だけではない。
埼玉の西武園ゆうえんちにあるゴジラのアトラクションを体験したとき、同じことを強く感じた。
正直に言えば、遊園地全体としては
ノスタルジックで独特の空気が根強い支持を得ている一方
- 設備は新しいとは言えない
- 子ども向けの要素も多い
という印象はある。
それでも、ゴジラのアトラクションだけは明らかに満足度が高かった。
理由は、
「自分がその場に放り込まれた感覚」があったからだ。
ゴジラが迫ってくるとき、電車が飛んでくる時
それは映像を見ているのではなく、
“自分がそこにいる”体験になっていた。
「見ている」ではなく「巻き込まれる」設計
多くの映像体験は、どれだけリアルでもどこかで
- 画面の中の出来事
- 自分は外側にいる
という感覚が残る。
しかし山崎貴の演出は、この境界を曖昧にする。
- カメラの位置
- 音の圧
- スケールの見せ方
それらによって、観客は“観察者”ではなく当事者に近い位置に置かれる。
『ゴジラ-1.0』が刺さった理由
この構造は、ゴジラ-1.0でもはっきり現れていた。
ゴジラは単なる巨大生物として描かれているのではなく、
- 逃げ場のない恐怖
- 圧倒的なサイズ感
- 現実に侵入してくる存在
として提示される。
つまり観客は「ゴジラを見る」のではなく、
“ゴジラに遭遇する”体験をしている。
なぜ人は同じ作品を何度も観るのか
この“体験型”の構造は、リピートにもつながる。
個人的な話になるが、『永遠の0』を映画館で何度も観たことがある。
それはストーリーを確認するためというより、
- ゼロ戦の飛行
- 空母のスケール
- 戦場の空気感
をもう一度体験したかったからだ。
映画館に通う行為が、
物語の再確認ではなく、体験の再訪になる。
続編で期待されるポイント
続編において重要なのは、単なるスケールアップではない。
- どれだけ巨大になるか
- どれだけ派手になるか
ではなく、
どれだけ“自分が巻き込まれる感覚”を強化できるか
ここに山崎貴作品の本質がある。
まとめ
山崎貴の強みは、VFXの技術そのものではなく、
**「観る」を「体験する」に変える設計力」**にある。
- 西武園のアトラクションでも
- 『ゴジラ-1.0』でも
- そしておそらく続編でも
この“巻き込まれる感覚”こそが、作品の核になるはずだ。
続報を待ちながら、
次にどんな「体験」が用意されるのかに注目したい。


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