「結末はひとつ」は
原作通りを意味しない
――浜口インタビューを冷静に読み直す
発表直後のノイズを一次情報で切り分ける
『FFVII リベレーション』の正式発表から数時間、SNSではひとつの言葉が独り歩きしていた。
「結末はひとつ」。
浜口直樹がAUTOMATONのインタビューで語ったこの表現が、それぞれの立場からそれぞれの解釈で受け取られ、様々な感情を呼んだ。発表直後のSNSとはそういうものだ。
ただ、インタビュー全文を落ち着いて読み直すと、浜口は「原作と同じ結末」とは一度も言っていない。この記事では一次情報のテキストを丁寧に確認する。
01
浜口は何と言ったか――発言の全文確認
まず問題の発言を文脈ごと確認する。マルチエンディングについて問われた箇所だ。
「三部作としてここまで長く付き合ってくださっているファンの方が多いので、我々のひとつの答えとしてちゃんと作品をクローズしています。その点については変わりなく、結末はひとつです。」
「物語の大筋が変化するわけではないのでそこは安心していただきたいのですが、ただ、物語の完結に向かうその過程の選択によって、ユーザーそれぞれのゲーム体験や、サイドコンテンツで描かれるストーリーテリングが変わる設計にしています。」
「本作は”選択によって体験が変わる中で、ひとつの結末へ収束していくゲーム”です。」
この発言が否定しているのはマルチエンディングだ。選択によって複数の結末が分岐するゲームではない、という約束として語られている。
「原作と同じ結末になる」という言葉は、この発言のどこにも存在しない。
02
「我々のひとつの答え」という言葉遣い
もし原作通りの結末に収束するなら、浜口の言葉遣いはおそらく違うものになる。
「原作と同じ結末をお届けします」
「皆さんが知っている結末に向かいます」
「我々のひとつの答えとして
ちゃんと作品をクローズしています」
「我々の答え」という主語の置き方が重要だ。原作の答えではなく、リメイクプロジェクトチームが出す答えとして位置づけている。原作をなぞるだけなら、この主語は必要ない。
さらに別の箇所でも浜口はこう語っている。
「それはもう……完結するというところですね。本当に完結しますかとはよく言われますが、”終わらせるための作品”です。」
「本当に完結しますか」という問いが繰り返されてきたという事実は、このプロジェクトが原作の結末を自明のものとして扱ってこなかったことを示している。原作通りなら「完結するかどうか」は問いにならない。
03
二つの解釈と、どちらが整合するか
「結末はひとつ」という発言には、論理的に二つの解釈が成立する。
改変の旅を経て、最終的には原作通りの結末に着地する。リメイクプロジェクトの「改変」はすべて原作への道程だった、という解釈。
原作とは異なるが、このプロジェクトとしての答えがひとつ用意されている。マルチエンディングにせず、チームが責任を持って結末を提示する、という解釈。
Aの解釈が成立するためには、「我々のひとつの答え」という表現が説明できない。原作通りなら「我々の答え」ではなく「原作の結末」と言えばいい。
Bの解釈は、第二報で確認した命名の経緯とも整合する。浜口はRevelationについて「我々がリメイク・リバースとユーザーに問いかけて来たものを全て明かす」と語った。明かすべき何かがある、という前提に立っている。原作通りなら、プレイヤーはすでに知っているため「明かす」ものは存在しない。
「結末はひとつ」はマルチエンディングの否定だ。原作との同一性の肯定ではない。この二つを混同すると、浜口の発言全体の整合性が崩れる。
04
「決意」というテーマが示すもの
同インタビューで浜口は、今作のテーマを「決意」と明言した。
「今作は『決意』というものを作品のテーマに掲げています。シリーズの完結編として最後の戦いに挑むクラウドやそれぞれの想いとか、背負ってきたものに向かい合う覚悟がありますし、我々クリエイターも三部作の最後に向けてちゃんと仕上げていくという覚悟もあります。」
「決意」と「覚悟」はキャラクターだけでなく、制作者自身にも向けられた言葉として語られている。
原作をなぞる作業に「覚悟」は要らない。すでに答えが存在しているものを再現するなら、それは技術と労力の問題だ。「我々の答え」を出すことに覚悟が要る。未知の結末を提示することに覚悟が要る。
「決意」というテーマは、プロジェクトが何か新しいものを提示しようとしていることの、もうひとつの傍証として読める。
05
一次情報は何を言っていないか
浜口直樹は「原作と同じ結末になる」とは言っていない。
言ったのは、マルチエンディングにはしないということ。我々のひとつの答えとして作品をクローズするということ。全て明かすつもりでRevelationと名付けたということ。
これらを並べると、リメイクプロジェクトが独自の結末を用意しているという読みの方が、発言全体との整合性が高い。
原作を知っているプレイヤーにとって、「知っている結末」が来るなら見届ける必要はない。「我々の答え」が来るなら、見届けない選択肢はない。浜口の言葉は、後者を示唆している。


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