2027年春、FF7リベレーション(完結編)と横浜花博が重なる——これは偶然ではなく、時代の表出だ

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2027年春、「FF7完結編と横浜花博がほぼ同じタイミングで来る」という事実に気づいたとき、これは単なる偶然ではなく、同じ時代感覚が別々の場所で結晶しているのではないかと思った。

一つは、FINAL FANTASY VII REMAKEプロジェクトの完結編。もう一つは、2027年3月19日に横浜・上瀬谷で開幕する国際園芸博覧会「GREEN×EXPO 2027」、通称・横浜花博だ。

発売時期はまだ正式に確定していない。スクウェア・エニックスが花博に合わせてFF7の発売日を決めたわけでも、両者に直接の関係があるわけでもない。ただ、意図していないのに重なるとき——そこには時代の必然に近い何かが働いていると私は思っている。


トゥンクトゥンクのプロフィールを読んで驚いた

GREEN×EXPO 2027の公式マスコットキャラクター「トゥンクトゥンク」のプロフィールはこうだ。

はるか宇宙の彼方から、地球に憧れてやってきた好奇心いっぱいの精霊。植物をはじめとした、この宇宙に生まれた万物の気持ちに共鳴しているので、その想いを人間に伝えてくれる。地球がきれいだとうれしくなって花を咲かせて踊ったり、地球が汚れると悲しくなって元気がなくなったりする。自然破壊・環境汚染などさまざまな課題を抱えているこの星で、人間と自然をつなぐ決意をしたキャラクター。

これをFF7の世界観・キャラクター論として読んでも、ほぼ違和感がない。

「星の声を聞き、人間に伝える媒介者」「星の健康状態と自分の感情が連動する存在」「人間と自然の間に立つ決意」——これはエアリスの機能的な説明として、そのまま使える文章だ。トゥンクトゥンクは当然エアリスではない。そう言いたいわけでもない。
ここで重要なのは、この概念が2027年という時代において自然に要請されている、ということだ。

星の痛みを知り、人間と自然の橋渡しをする存在——それが今、花博のマスコットとして語られている。時代がその概念を必要としている。


FFシリーズはずっと時代と共鳴してきた

これはFF7に限った話ではない。FFシリーズは繰り返し、同時代の文化と「同じ水を飲んでいた」。

FF7(1997年)とタイタニック(1997年)は同年だ。どちらも「愛する人の死が主人公を未来へ送り出す」という構造を持つ。スクウェアがタイタニックを参照したとは思わない。ただ、同じ時代の感情構造から生まれた作品が、同じ年に世界に届いた。FF8と『ハリー・ポッター』は学園・魔法・仲間という構造で共鳴し、FF9と『ロード・オブ・ザ・リング』は古典ファンタジーの復権というムードで重なった。FF12とスター・ウォーズ前日譚三部作は、政治劇とスペースオペラの交差点で並走した。

FFは時代を先取りしていたわけではない。時代と同じ水を飲んでいた。だから共鳴する。

そして2027年。地球環境・持続可能性・人間と自然の共生が、単なるスローガンではなく日常的な問いになった時代に、「星を救う物語」の完結編が届く。


FF7はもともと「星の資源」をめぐる物語だった

FF7はしばしばクラウドやセフィロスの物語として語られる。
しかし、その土台にあるのは星と命の物語~環境と資源の問題だ。

神羅カンパニーは、星の生命エネルギーである「魔晄(まこう)」を吸い上げ、電力として消費することで巨大な繁栄を築いた。便利さと引き換えに、星そのものの命を削り取っているのではないか――それが物語の出発点である。

1997年当時、このテーマは「環境保護メッセージを含んだRPG」として語られることもあった。しかし30年近くが経った現在、その問いはむしろ現実に近づいている。

私たちは化石燃料、資源消費、気候変動、生物多様性の喪失といった問題に直面している。もちろん現実とFF7は同じではない。それでも「豊かさのために星の命を使い続けてよいのか」という問いは、驚くほど色褪せていない。

だからこそ2027年、「人間と自然の共生」を掲げる横浜花博と、「星を救う物語」の完結編が同じ時代に現れることに、不思議な必然性を感じるのである。


共生は「自然に帰ること」ではない

GREEN×EXPO 2027の公式サイトには、「自然との共生」や「幸せを創る明日の風景」といった理念が掲げられている。しかし、それは単純な自然回帰を意味しているのだろうか。

私はむしろ逆だと思う。

たとえば『機動戦士ガンダム』に登場する宇宙コロニーを考えてみたい。宇宙空間で人間が暮らし続けるためには、水も食料もエネルギーも循環させなければならない。限られた資源の中で持続可能な社会を維持するには、自然を尊重するだけでなく、高度な科学技術が不可欠になる。

それは現代社会が直面している課題でもある。

FF7が批判しているのは科学そのものではない。神羅カンパニーが象徴しているのは、星の生命エネルギーを際限なく消費する文明のあり方だ。問題なのは技術ではなく、その使い方なのである。

自然を守るために文明を捨てるのか。あるいは科学によって新しい共生の形を作るのか。

2027年の花博が問いかけているのも、そしてFF7が30年前から問い続けてきたのも、実は同じ問題なのかもしれない。

花博はどれくらいのイベントか

GREEN×EXPO 2027はA1クラス——国際園芸博覧会の最上位ランクに認定されている。日本でこの規模の花博が開かれるのは、1990年の大阪花の万博以来37年ぶりだ。派手さで言えば大阪・関西万博には及ばないかもしれない。だがテーマの深度は違う。「幸せを創る明日の風景」をテーマに、花と緑を起点に地球規模の課題と向き合う場として設計されている。

物価高、将来不安、閉塞感——そういった空気の中で、「未来はこういう形でありうる」を提示するイベントの意味は小さくない。その半年間の会期と、FF7完結編の発売が重なる。


30年の弧

FF7という物語が1997年に生まれ、2027年に完結するとしたら、その30年の弧は時代の問いに対してきわめて誠実な軌跡を描いていることになる。

1997年にタイタニックとFF7が同時に「愛と喪失と未来」を語ったように、2027年には「星と人間と共生」を語る作品と博覧会が、同じ春に並走する。

2027年春に現れるのは、ひとつのゲームの完結だけではないかもしれない。「星と人間の関係」を問い直そうとする、時代そのものの輪郭なのかもしれない。


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