この記事を読むとわかること
- なぜ誘導された構造が「自由」に見えるのか
- プレイヤーが自分の選択を“正解”だと感じる理由
- FF7の分岐と認知バイアスの関係
結論:人は「自分で選んだ」と感じた瞬間、それを正しいと思ってしまう
FF7の分岐が「完全に自由」に見えるのは、
👉 実際に自由だからではなく、自由だと感じるように設計されているからである。
前提:FF7の分岐は“誘導された余白”である
前の記事で整理した通り、
- 完全な自由ではない
- しかし完全固定でもない
👉 見せたいラインに寄せつつ、外れる余地がある構造
それでも「自由」に見える理由
ここからが本題。
人間の認知には、次の特徴がある。
① 自分の選択を正当化する(認知的一貫性)
人は一度選んだものに対して、
👉 「自分は正しい選択をした」と思いたくなる
FF7の場合👇
- デート相手を選ぶ
- 会話を選択する
👉 その結果
👉 「これが自然な流れだ」と感じる
② 体験したものを“全体”だと錯覚する
人は、
👉 自分が見たもの=作品全体
だと感じやすい。
しかし実際には👇
- 他の分岐も存在する
- 見ていないパターンもある
👉 体験は一部でしかない
③ リアルな演出が“事実”に見える
FF7リメイクは
- 表情
- 会話
- 演出
👉 非常にリアル
その結果👇
👉 「これは実際に起きたことだ」と感じてしまう
しかし
👉 リアルに見えることと、物語上の確定事項であることは別
④ 「選べる」=「対等」だと思ってしまう
分岐があると、
👉 どの選択肢も同じ価値を持つ
と感じやすい。
しかし実際には👇
- 初期好感度に差がある
- 自然に寄るルートがある
👉 設計上の重みは均等ではない
一行でまとめると
👉 人は“選んだ”という体験によって、構造を見失う
なぜ議論がねじれるのか
ここまでの要素が重なると、
👉 自分の体験=正しい
👉 他の解釈=間違い
という状態になりやすい。
そして
👉 構造の話が、正しさの争いに変わる
FF7が特に誤認されやすい理由
FF7は
- 感情没入が強い
- 分岐がある
- テーマが重い
👉 体験と構造がズレやすい条件が揃っている
結論
FF7の分岐は、
👉 自由に見えるように設計されている
しかし実際には、
👉 誘導と余白が組み合わさった構造である
最後に
👉 体験の強さは、構造の自由を意味しない
シリーズリンク
- キス=確定ではない → ①
- 「遊び」はお遊びではない → ②
- 続編は何を前提にしているか → ③
- 誘導された分岐という構造 → ④

