第3章:坂口博信の「初恋」と宇宙開発の始まり

作品考察

──「漫画っぽさがいい」と言った男が、リアルの呪縛に落ちるまで

第2章で語った、ドット絵という「不自由な箱」の中で爆発していた想像力の魔法。 しかし1997年、その魔法は一つの巨大な「劇薬」によって書き換えられることになる。

PlayStationという新しいキャンバス、そして野村哲也という才能の登場である。

◆ FF7・野村哲也という「劇薬」との出会い

FF7において、キャラクターデザインのバトンは天野喜孝から野村哲也へと渡された。 野村が描くキャラクターは、それまでの幻想的な記号とは異なり、ファッション雑誌から抜け出してきたような等身の高い「美形」だった。

坂口博信は、野村が描くそのキャラクターがポリゴンとして立ち上がった瞬間、そこに「次世代のスター(役者)」を見てしまったのだろう。

坂口はかつて「FFは漫画っぽいのがいい」と語っていた。 実際、1997年のインタビューではこう述べている。

引用

「キャラはマンガ的に起こしています」
「バイオハザードみたいな、リアルな絵にまでいっちゃうと、それはFFじゃないと思うんですね」
「野村の絵をそのままポリゴンで表現することに心を砕いた」

(出典:坂口博信 Vジャンプ特別増刊ファイナルファンタジーⅦ 1997)

この言葉は、当時の坂口が“デフォルメされたFF”を守ろうとしていた証拠でもある。

しかし野村の描く“漫画的な美形”が、映画のようなカメラワークで動き出したとき、坂口の中で「漫画っぽさ」の定義は変節した。 それは「ドットの可愛さ」から、「アニメのキャラクターが実写映画のようなリアリティで演技する」という、誰も見たことのないハイブリッドな野心へと進化したのである。

◆ 「役者」を手に入れた瞬間、FFは戻れなくなった

キャラが「役者」としての実在感を得た瞬間、ゲームという表現には逃れられない連鎖が生まれる。

  • 役者がリアルなら、背景もリアルでなければならない
  • 衣装の質感も、光の当たり方も、感情表現も、すべて整合性が求められる

FF8ではその傾向が決定的となった。 日本のゲームでいち早くモーションキャプチャを導入し、キャラクターは本物の人間と同じ骨格・同じ歩幅で歩き始めた。

坂口博信は、かつて憧れたスター・ウォーズやインディ・ジョーンズといった「映画」の世界に、ゲームという手札を使って真正面から挑み始めたのである。

◆ 「宇宙開発」という名の終わりなきレース

映画的リアリティを追求することは、いわば「宇宙開発」のようなものだ。 一度「本物」に近づけてしまえば、次の作品ではさらに高い解像度、さらに滑らかな動き、さらに膨大なデータ量が求められる。

青天井のコストと制作期間を要する、止まれないレースが始まった。

植松伸夫もまた、この流れに並走していた。「映画音楽に負けたくなかった」と語る彼は、映像と音を完璧に同期させる手法を研ぎ澄ませていく。 それはもはや「ゲームのBGM」ではなく、「映画のサウンドトラック」としてのプライドであった。

◆ 失われゆく「漫画的自由」

しかし「映画への片想い」が成就に近づけば近づくほど、FFからはある大切なものが零れ落ちていった。

第2章で述べた、「情報の空白をプレイヤーの想像力が埋める」という自由である。

すべてを映像で説明し、すべてをリアルな等身で描き切ることは、プレイヤーの脳内補完の余地を奪うことでもある。 かつてドットのキャラが数歩歩けば街から街へ移動できた「漫画的デフォルメ」は、リアルな等身のキャラが歩く「物理的な距離感」によって整合性を失い始めた。

◆ 鳥山明が見抜いていた“もう一つの未来”

同じ1997年、鳥山明は発売前のFF7を遊んだ感想として、こう語っている。「これからのゲームは凄い事になる」「世界観やカメラワーク」など、多岐に渡り評価している。一方で……

引用

「キャラクターの見せ方が、まぁ背景の描きこみとくらべると多少カクカクしているところがあるんで、それがクリアになったらもう完璧でしょうね。リアルになるというよりは、デフォルメしてあるキャラクターがきれいに立体になって動いてくれれば。」

(出典:鳥山明 Vジャンプ特別増刊ファイナルファンタジーⅦ 1997)

背景の描き込みと比べてキャラがカクカクしている点を指摘しつつも、 「ここからもっと良くなる」と素直に期待を寄せていた。

小学生だった私は「こんなにすごいのに、まだ伸びしろがあるのか」と驚いた。 背景はリアルなのにキャラは人形っぽい──その違和感を、鳥山は正確に言語化していた。

そして彼が望んだのは、“リアル化”ではなく“デフォルメの美しい立体化”だった。つまり、鳥山は“別の進化ルート”を見ていた。

しかしFFシリーズが選んだのは、その逆方向── 「リアルの呪縛」へと向かう道だった。

坂口がかつて語った「リアルにしすぎるとFFじゃない」という言葉は、 技術の進化と制作現場の熱狂の中で、少しずつ遠ざかっていったのかもしれない。

この「宇宙開発」の果てに待っていたのが、映画版『ファイナルファンタジー』の挫折。 そして裏側で進行していた、FF12の壮絶な「苦しさ」であった。

第4章:映画への恋が、現実と衝突した日へつづく

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