──FF7Rで失われたもの──
FF7リバースが抱える“スクリーンタイム均等化”という構造的欠陥
『FINAL FANTASY VII REBIRTH』のプロモーションで、ディレクター浜口直樹氏はこう語っている。
“We want to make sure they’re both treated equally… equal footing…”
この “equal footing” は、物語の役割の対等ではない。
制作リソースの均等化──スクリーンタイムやイベント量を揃えるという話だ。
だが、この「平等」は、原作FF7が成立させていた物語構造と根本的に矛盾している。むしろ、“平等”という言葉が、物語の不平等を覆い隠す装置として働いてしまっている。
なお、この問題の背景には、いわゆるエアリスかティファかのヒロインの好み、あるいは「クラエア(クラウド×エアリス)」「クラティ(クラウド×ティファ)」といったカップリング解釈の違いも影響している。
どの関係性を重視するかによって、キャラクターの役割や物語上の重要度の感じ方が変化し、その結果としてスクリーンタイムの配分に対する評価も分かれる傾向がある。
ここで一つの疑問が生まれる。
リメイクシリーズにおけるスクリーンタイムの均等化は、純粋にゲーム体験の平等性を意図したものなのか、それとも「クラティ(クラウド×ティファ)」「クラエア(クラウド×エアリス)」といったカップリング解釈の差異が存在する状況への配慮として設計されているのか。
もちろん、制作側の意図を単純化して断定することはできない。
しかし結果として、関係性のバランスを取るような構成が採用されている場合、
▶ 本来は非対称であるはずの物語構造
▶ とくにエアリスの「有限性」によって成立していた時間の重み
が相対的に弱まってしまう可能性は否定できない。
このとき問題となるのは、キャラクターの優遇・不遇ではなく、
▶ 非対称性によって成立していた物語が
▶ 均等化によってどのように変質するのか
という構造そのものにある。
本稿では特定のカップリングの優劣を論じるものではなく、そうした解釈の差異が存在する中で、制作側がスクリーンタイムの「平等」をどのように設計し、それが物語構造にどのような影響を与えているのかを整理することを目的とする。
1. 原作FF7は“非対称性”で成立していた
1997年の原作において、エアリスとティファは最初から対等ではなかった。 そして、この非対称性こそが物語の骨格だった。
- エアリス:物語前半の中心。彼女の死が物語を決定的に変える。
- ティファ:物語後半の“特定の一点”で必要になるキャラクター。
ここが重要だ。
ティファは“後半の主役”ではない。 “後半の一点で機能する”キャラクターだ。
この限定性こそが原作の構造であり、 前半から均等に出す必然性は構造上存在しない。
そして、エアリスは“死ぬ前提”で設計されている。 彼女の有限性こそが物語の緊張を生んでいた。
2. リメイクの“均等化”は、この骨格を破壊している
リメイクシリーズは、この非対称な骨格に対して、次のような調整を加えている。
- ティファの出番を前倒しし、序盤から比重を増やす
- デートイベントなどを「どちらを選んでも同じリソース」で設計
- 二者を“等価な選択肢”として提示する
ここで決定的な矛盾が生まれる。
死ぬ側と、生き残る側の出番を揃える──それは平等ではなく、構造の破壊だ。
エアリスは有限の存在だ。 彼女の“今しかない時間”を削ってまで、 後半に役割が集中しているキャラクターを 前半から“平等”に扱うことが、 本当に物語にとって必要だったのか。
有限の側から時間を奪い、無限の側に配る。 これを平等と呼ぶのは無理がある。
3. 「後で必要になる人が、なぜ”今”から前に出てくるのか」
これはキャラ人気や好き嫌いの話ではない。 純粋な物語構造としての疑問だ。
- 後半の一点で必要になるキャラが、なぜ前半から均等に出てくる必要があるのか
- 非対称性こそが物語の緊張を生むのに、なぜ均等化するのか
構造上の道理に反している。 だから違和感を覚える人も出てくる。
4. 「いずれ死ぬ側の“今しかない時間”を削るのか」という不信感

エアリスの死は、原作において“舞台装置”ではなかった。 物語の中心であり、作品の心臓だった。
だが現代の一部言説では、エアリスの死は軽く扱われがちだ。
- 「後半はティファの見せ場だから」
- 「ティファがクラウドを救うから」
- 「ティファが物語を再構築するから」
- 「だから前半から均等に出すべき」
- 「だからエアリスの出番を削っても仕方ない」
これらは、ティファの役割を“過剰に膨らませた一部の言説”が生んだ誤解だ。
現実のファン層はティファ一色ではない。 クラウドもセフィロスも人気がある、 エアリスは女性ファンの支持が非常に強い。他のパーティメンバーにも当然ファンがいる。
にもかかわらず、ネットの一部の声が大きく、 “ティファ中心”の言説が“公式の前提”のように扱われてしまうことがある。
5. ただし、批判の矛先は“個人”ではない
ここで明確にしておきたい。
本稿で批判しているのは、 浜口直樹氏という個人ではない。
巨大IPの開発では、企業方針やブランド戦略が発言を縛る。 彼自身も会社員であり、すべてが個人の意志とは限らない。
問題は、
「平等」という言葉が、物語構造の非対称性をどう変質させてしまうか
という点に尽きる。
6. スクリーンタイムを平等にした瞬間、物語は不平等になる
スクウェア・エニックスが掲げる「平等」は、 プレイヤー体験の均一化としては理解できる。
ファンを楽しませたい、広く遊んでほしい。よく解る。
だが、それは次の問いに答えていない。
「死ぬ側と生き残る側の非対称性を残したまま、出番だけを揃えることは、本当に平等なのか?」
原作FF7の強度は、 一方が物語の中心を担い、そして消えるという極端なアンバランスさにあった。
「体験の均等化」という設計は、 エアリスが本来独占していたはずの時間を奪い、 彼女を“二択のうちの一人”へと矮小化してしまう。
完結編で、この構造的な不平等にどう決着をつけるのか。 それは単なる“好み”ではなく、 物語設計としての誠実さが問われる問題だ。
あとがき
ここまで書いておいてなんだけれど、 これはあくまで 『FF7リメイク(1作目)を遊んだ時点』 と、 浜口氏のインタビューを読んだ時 に考えていた話でもある。
正直、リメイク1作目を遊んだ後、 私はかなり疑問に思っていた。(バトルなどゲームそのものは楽しかったです)
ティファが嫌いだからではない。 ただ、原作の構造を知っている人間からすると、
「なぜ、最初からティファなんだろう? ティファは後半に出番があるのでは?」
という感覚になってしまったのだ。
原作では、 前半はエアリスが圧倒的に中心にいた。 そして、 “メインヒロインが死ぬ”という事件性そのものが、 物語の強度を支えていた。
だからこそ、 リメイクでティファが前に出てくる構造に、 違和感を覚えた。
ゲーム本編だけではない。例えばテレビCMなどのプロモーションや、リメイクに合わせたコラボ等々、同じような印象をうけた。
実際、Amazonレビューにも同じ声があった。いや、もっと切実で痛烈なものも存在した。
- 「ダブルヒロインと言いつつティファだけ目立ちすぎでは?」
- 「スクエニのゲームは二度と買わない」
- 「エアリスにクラウドが塩対応、一方ティファには優しい」
と書く人までいた。 おそらく、原作でエアリスが好きだった人たちなのかもしれない。しかし、そうではないかもしれない。
そしてそこに、浜口氏の「平等」発言が重なった。
「平等という名の不平等」 「有限の側から時間を奪ってどうする」
という何とも言い難い気持ちが、私の中で形を成した。 この記事の本文は、その感情を極力構造的に整理したものだ。
──ただ。
『リバース』を遊んで、少し気持ちが変わった。
ティファがカメラにフォーカスされやすい、 デートでキスがあったり、 一見すると“優遇”されているように見える。そしてやはり可愛い。拘りを感じる。
しかし、分岐以外の本筋では、 エアリスが非常に丁寧に描かれていた。
これは、リメイク1作目で感じた“偏り”とは違う。 スクエニ内部で何かが変わったのか、 あるいは最初からこの方向性だったのかは分からない。
ただ、少なくとも『リバース』では、 原作が持っていた“非対称性”の気配が戻ってきていた。
その変化は、興味深い。
もちろん、完結編がどうなるかはまだ分からない。 だが、現時点では、 「平等」という言葉に対する疑問だけで 作品全体を断じるべきではない── そんな気持ちになっている。
私がこの記事で厳しく指摘しているのは、 キャラクターでも、ファンでも、開発者でもない。
“物語の構造”に対する誠実さ だ。
出典
GamerBraves (Sept 2023): 浜口氏へのインタビュー
Game Informer (Dec 2023): Searching For The Truth (Cover Story)

