ーー『個』が『全体』に還る物語――ライフストリームから読み解くSF・アニメ思想史
FF7のライフストリームという設定は、よくガイア理論と結びつけて語られる。星全体が一つの生命体であり、すべての生命のエネルギーがそこに還っていく——この説明は、ライフストリームという概念の骨格として正しい。
ただ、この設定を「FF7独自の世界観」として捉えると、見えなくなるものがある。実は「個別の存在が、より大きな単一の何かに溶けて還っていく」というアイデアは、FF7が登場するまでの数十年間、SFやアニメの中で繰り返し描かれてきたテーマだった。今回は、その系譜を辿りながら、ライフストリームという設定がどこに位置するのかを整理してみたい。
幼年期の終り
起点になるのは、1953年に発表されたアーサー・C・クラークのSF小説「幼年期の終り」だ。この作品では、人類の精神が個別の自我を超えて、より大きな単一の精神(オーバーマインド)に統合されていく様子が描かれる。個人としての人類の歴史が終わり、より高次の何かへと進化していく——このアイデアは、後のSF作品に長く影響を残すことになる。
伝説巨神イデオン
「幼年期の終り」その影響を強く受けた作品の一つが、1980年に放映されたアニメ「伝説巨神イデオン」だ。機動戦士ガンダムで有名な、富野由悠季氏が手がけたこの作品では、物語の最終局面で、すべての存在が「イデ」という超越的な意思のもとに還っていく結末が描かれる。
新世紀エヴァンゲリオン

そして1995年から放映された「新世紀エヴァンゲリオン」における人類補完計画は、しばしばイデオンとの類似が指摘される。監督の庵野秀明氏が富野氏から強く影響を受けていることは知られており、富野氏自身もエヴァンゲリオンについて、イデオンの完全コピーに近いという発言をしたとされている。エヴァにおける人類補完計画は、個と個を隔てる境界(ATフィールド)が失われ、すべての人間がLCLという一つの液体に還っていく、という形で描かれた。
ここまでの流れを整理すると、「幼年期の終り」(1953年、小説)→「イデオン」(1980年、アニメ)→「エヴァンゲリオン」(1995年、アニメ)という形で、「個が大きな全体に還る」というアイデアは、約40年の間、形式を変えながら繰り返し描かれてきたことになる。
FF7が発売されたのは1997年。つまりライフストリームという設定は、この長い系譜の、同じ思想的潮流の中に位置づけることができる。
エヴァンゲリオンが放映されてから、わずか2年後だ。緑色の光の帯となって地表から噴き出し、すべての生命を一つの流れに還していくライフストリームの映像表現は、オレンジ色のLCLに浸され、自我の境界が溶けていくエヴァの最終話の映像と、構造的な類似がある。
ここで言いたいのは、「FF7がエヴァの真似をした」ということではない。むしろ、1997年という時点で、「個が全体に還る」というアイデアは、すでに小説からアニメへ、そして複数の作品を通じて、何度も視覚化され、再演されてきた後だった、ということだ。FF7のライフストリームは、ゲームという表現形式において、この長い系譜に新たに加わった一つの実装だった、という位置づけになる。
これは、FF7という作品の価値を下げる話ではない。むしろ、なぜこの設定が当時の多くのプレイヤーに感動を与えると同時に「とても自然なもの」として受け入れられたのか、という理由の説明にもなる。「個が全体に還る」というアイデアは、1997年の時点で、すでに一つの時代の感覚として、広く共有されていたからだ。FF7はその感覚を、ゲームという新しい器に注ぎ込んだ。
FF7・Revelationではそこからさらに一歩先へ行こうとしている

そして、ここから30年近くが経つ。リメイクサーガのシナリオを手がける野島一成氏は、執筆にあたってユング心理学の「集合的無意識」を勉強したと語っている。集合的無意識とは、個人を超えて共有される記憶や経験の蓄積を指す概念だ。
これは、ある意味で、この長い系譜が一周して戻ってきた、と見ることもできる。「幼年期の終り」のオーバーマインド、イデオンの「イデ」、エヴァの人類補完計画——これらはいずれも、「個を超えた、より大きな意識の総体」というアイデアの、異なる時代における異なる表現だった。野島氏が「集合的無意識」という言葉で改めて向き合っているのも、構造としては同じ場所にある。
ただ、リバースで明かされた「ライフストリームは願いと事実を区別しない」という一節は、この系譜の中でも、少し違う角度を持っている。これまでの作品が描いてきたのは、「個が全体に統合される」という、いわば一方通行のプロセスだった。しかし「願いと事実を区別しない」という設定は、個別の願いという小さなものが、逆に全体の側(事実)に影響を及ぼす、という、双方向の関係を示唆している。
もしこの読みが正しければ、リメイクサーガが向き合おうとしているのは、「個が全体に還る」という、これまでの作品が繰り返し描いてきたテーマの先にある、もう一段別の問いなのかもしれない。「全体に還った個が、その全体そのものを書き換えていく」——そういう構図が、Revelationの結末でどのように描かれるのか。それは、この40年以上にわたる系譜の、新しい一章になり得るのか、答えはまだ分からない。

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