ーー鬼滅の刃の黒死牟は、なぜ人気なのか。
まず、人間時代の継国巌勝(つぎくに みちかつ)自体が、普通にかなり魅力的な人物として描かれています。
良家・武家の生まれ。
整った顔立ち。
落ち着いた立ち振る舞い。
剣を握る姿も美しい。
やはり人は、強さや高貴さに惹かれます。
さらに鬼になった後も、黒死牟は「上弦の壱」という、鬼の中でも最強格の存在として描かれています。
古今東西、「最強」というポジションには、人を惹きつける力があります。
だから、黒死牟が人気なのは当然だ――。
……と言いたいところですが、正直、それだけでは説明しきれない気がします。
かっこいいキャラ・人気キャラは他にもいる
鬼滅の刃には、他にも強いキャラ、かっこいいキャラ、人気キャラはたくさんいます。
では、なぜあえて黒死牟なのでしょうか。
なぜ、黒死牟に強く惹かれる人がいるのでしょうか。
個人的には、黒死牟の人気は「光」の部分だけでは説明できないと思っています。
むしろ人は、ときに「影」の部分にこそ惹かれてしまう。
黒死牟はまさに、その象徴のようなキャラクターです。
漫画を読めば分かる通り、彼の人生は、
- 嫉妬
- 才能差
- 劣等感
- 報われなさ
- 弟への執着
そういった感情で貫かれています。
彼は、自分の妻子すら捨て、
最後には人間であることすら捨ててしまう。
それほどまでに、
「継国縁壱になりたかった」という事実に囚われ続けた。
普通なら、
「そこまで執着するなんて醜い」
と思う可能性が高いように思います。
実際、黒死牟のことを苦手だと感じる人もいるでしょう。
しかし同時に、
そこに妙に惹かれてしまう人もいる。
なぜか。
おそらく黒死牟は、
👉 “人間の見たくない部分”
を極端な形で持っているからです。
誰にでもあるかもしれない影
誰かと比べて苦しくなったこと。
才能の差に絶望したこと。
努力しても届かないと思ったこと。
人は多かれ少なかれ、
そういう感情を抱えています。
もちろん、
黒死牟ほど極端ではないでしょう。
ですが
- 「羨ましい」
- 「悔しい」
- 「なぜ自分ではないのか」
そう思った経験が全くない人は、
あまりいないのではないでしょうか。
そして黒死牟は、
そういった感情を最後まで捨てられなかった。
だからこそ読者は、
「こんな人間にはなりたくない」と思いながら、
同時にどこかで、
自分の感情を重ねてしまうのだと思います。
むしろ、「己の執着ゆえに苦しむ姿」に、
同情のような、愛着のような、そんな気持ちを抱いてしまうのではないでしょうか。
光のキャラとの対比
例えば煉獄杏寿郎のようなキャラクターは、
誰が見ても立派です。
人のために命を張れる。
まっすぐで強い。
しかし、人によっては、
眩しすぎる。
「縁壱 お前になりたかったのだ」

そして、『継国縁壱』
彼は黒死牟と双子でありながら真逆のように見えます。
あまり欲がない、強さに執着しない、穏やかで他者に見返りを求めず優しい。
そして圧倒的な才能がある。
しかしその才能すら、縁壱本人は
「鬼舞辻無惨を倒すために授かったもの」
と受け止めている。
そこには、自分の力を誇示するような欲がほとんどない。
強さを“自分のため”に使おうとしない、圧倒的な利他性がある。
縁壱のような存在は、
見ていて苦しくなる人もいると思うのです。
一方で黒死牟は、
弱く、醜く、執着にまみれた部分が強烈に描かれる。
そこには、
- 自分であることへの苦しさ。
- 自分の限界。
- そして、
- 「なぜ自分は縁壱ではなかったのか」
という、存在そのものへの問いがある。
もちろん、黒死牟の人間時代には優しさも描かれています。
しかしその優しさには、
どこか自己愛や執着が滲んでいるようにも見える。
だからこそ彼は、
どうしようもなく人間らしい。
黒死牟は、
縁壱を愛していた部分と、
憎んでいた部分、
その両方があったように思えます。
人の感情は、
そんなに単純ではありません。
だからこそ、
「わかってしまう」。
黒死牟の人気とは、
単なる「最強キャラ人気」ではなく、
👉 人間らしさ、人間の弱さそのものへの共感
なのかもしれません。
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